身体に悪い眼鏡
- ジョイビジョン奈良.OptMatsumoto(1級.眼鏡作製技能士)
- 2022年12月13日
- 読了時間: 3分
更新日:4月1日

「薬師は人を殺せど、薬人を殺さず」
「快適に見えるはずの眼鏡が、あなたを壊すとき」
〜視覚の専門家としての責任と、品位ある眼鏡作製〜
「くすし(薬師)は人を殺せど、薬人を殺さず」という言葉があります。
これは、薬そのものに罪があるのではなく、それをどう扱うかによって人を救うことも、害することもできるという意味です。
そしてこの言葉は、眼鏡という“視覚補助具”にもそのまま当てはまります。
眼鏡はただの「道具」にすぎません。その道具が「人を活かす」のか「人を蝕む」のかを決めるのは、視覚に携わる者の在り方と作法です。
■ 視覚の専門家か、ただの物売りか
「しっかり見えるように調整します」「丁寧に検査します」──
どこでも聞こえてくるフレーズです。ですが、その“しっかり”や“丁寧”の中身を問われたとき、「何を?」「どのような手法で?」「どんな視点で?」という問いに、技術的根拠と哲学を持って答えられる人はどれほどいるでしょうか。
資格があるかどうかだけでなく、
• 視覚を“情報処理の入口”として理解しているか
• 心身への影響や生活動線の中でどう機能するかを想定しているか
• 道具(検査機器・理論・知識)をどう使いこなしているか
こうした積み重ねがなければ、それは“視覚の専門家”ではなく、ただの「商品提供者」にすぎません。
■ 眼鏡は“効く”道具であるべき
眼鏡というのは、ただのファッションアイテムや雑貨ではありません。
視覚という、五感の中でも最も情報量が多い感覚の中枢に作用する道具です。
それを、根拠もなく「強すぎると疲れるから弱めにしましょう」といった説明だけで調整する──
そんな扱いは、薬を「ちょっと苦いから半分にしときましょう」と素人判断でするのと同じです。
眼鏡である以上、“効かせる”ことが求められる。
そのためには、両眼視機能・調節機能・融像余力・視知覚的な背景までを評価・解析したうえでの処方が必須となります。
■ 見えるようになって「疲れる」は本末転倒
量販店などでよく聞かれる言葉──
「見えるようにしたら疲れるので弱めておきました」
それは視覚を扱う者の“呪いの言葉”かもしれません。
疲れる理由を探らず、検査手法を工夫せず、適切な負荷調整や視覚設計もせずに“見えすぎるのは悪”という前提を押しつけるのは、まさに“薬ではなく医師が人を害する”状態と同じです。
■ 本物の視覚ケアを届けるために
当店では、国家資格である「1級眼鏡作製技能士」、その前身である「認定眼鏡士」から一貫して、資格を「当たり前のスタート地点」と捉えてきました。
大切なのは、
その資格を持って、何を見て、何を感じて、どう活かしているか。
そして、何よりお客様の“見えるようになった先の人生”にどう寄り添うか。
視覚は命を守り、社会と繋がる最前線にあります。
視覚を扱うということは、人の人生に影響を与えるということです。
「薬師は人を殺せど、薬人を殺さず」
眼鏡という薬をどう扱うか。
それは、私たちの品位と責任に委ねられています。
本物の視覚ケアを求めるすべての方へ。私たちは、その“薬”を正しく届け続けていきます。
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