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身体に悪い眼鏡

更新日:7 日前



「くすし(薬師)は人(ひと)を殺せど薬(くすり)人を殺さず」という言葉があります。 

この言葉の意味は

薬が人を殺すのではなく、それを扱う医師が人を殺すのである。罪は物にあるのではなく、それを運用する人にあることをいいます。

このことわざは眼鏡にも置き換えることが出来ます。

眼鏡という道具を快適に使うためには、「しっかり検査して、楽に見えるように合わせます」ということは誰でも書けますが、それが「何を?」「どのように?」「どのような手法で?」「どのような資格を持って?」となりますと、殆どの量販店は「視力基準」での強弱を指して回答すると思いますし、その「技術的な根拠」を示すことができないと思います。


また、その根拠に関して、一般のメガネ店や眼科は屈折異常(近視・乱視・遠視)と視力の強弱だけで解釈するのは、答えが永遠に出ない公式を使っているようなものです。

アウトプットも「キツすぎるから弱くしましょう」など、キツすぎる根拠も示さないままに言葉の使い方で誤魔化してるケースが非常に多いです。


例えるなら、立方体の面積を求めなければならないのに、永遠に「たて×よこ」を繰り返し、最終的に答えが出ない場合には「キツすぎる」とか「あなたの眼が悪い」という想像の斜め上をいく答えを平然と出すことが多いのです。



メガネの合わせ方で身体にとって良い悪いはありますか?

確実にあります。


身体の機能は様々な相互作用によって成り立っています。

その中で外界の情報を取り入れる最大の感覚器官であるのが眼ですから、その部分がいい加減な補正で作製されたような眼鏡であれば、無自覚のうちに積み重なったストレスが心身症として表出されることが多々あります。


いい加減な補正の眼鏡によって、頭痛・嘔吐・肩こり・首こり・全身の倦怠感・めまい感など、分かりやすい症状として現れる場合は気付きを得やすいですが、問題なのは無自覚で身体が蝕まれていく事であり、気付いた時にはメンタル面が蝕まれている事もあります。


心身共に日々の疲れが積み重なっている人にとって、目の疲れを癒すものになる筈の眼鏡が、場合によってはとどめを刺されるような物になっている事も多々あるという事です。


眼鏡というのは、本来的には雑貨的に扱うものでは無いのですが、残念ながら日本は多数を受け入れて多数を販売する粗製乱造的な業態が文化として根付いてしまっています。

検査においてもワンパターン的な対応が殆どであり、個々の感覚は蔑ろにされている事が殆どです。


「見えるようにしたら疲れますよ」と呪いのように繰り返す人がいますが、それを実際に試したわけではなく、そのような根拠がある訳でもなく、ただの妄想をもとに対象者様の視覚資源を奪い取っているケースも多々あります。


人生において、快適に見えることは豊かさと繋がっているとと思っていますが、多くの人が「見ること」において視力だけの問題と捉われてしまう事によって、受け身的な眼鏡作製になってしまっています。

本質的な世界があることを知り、間違った方向を軌道修正することは、今生きているうちにしかできない事です。


合わない眼鏡で苦しみが知らぬ間に膨らんでいったり、それらに縛られることによって本来やりたいことや目的が達成しにくい状態になるのは悲しいことです。

もう一度繰り返しますが、

「くすし(薬師)は人(ひと)を殺せど薬(くすり)人を殺さず」 


薬が人を殺すのではなく、それを扱う医師が人を殺すのである。罪は物にあるのではなく、それを運用する人にあることをいいます。

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