「見える」は、「わかる」「伝わる」に繋がっている──視覚をコミュニケーションの構造として再定義する
- ジョイビジョン奈良.OptMatsumoto(1級.眼鏡作製技能士)

- 10月17日
- 読了時間: 2分

■「見えにくい」だけで、誤解される世界
見えるはわかる伝わるに繋がっている視覚をコミュニケーションの構造として再定義する
「話が通じない」「空気が読めない」「理解していない」。
こういった評価が、視覚的な“見え方のズレ”から生まれていることは、意外と知られていません。
例えば黒板の文字が見えづらい、視界の中心がぼやけている、動きのあるものが追えない──
そういった小さな「視覚のノイズ」が、「理解が遅い」「注意力がない」といった評価へとすり替わる。
ここにあるのは、視覚機能の誤読ではなく、視覚の“意味機能”の軽視です。
■「見ること」は、情報の受け取りであり、心のやりとり
人が「話を聞いている」時、多くの場合、視線は相手の目元や表情に向いています。
子どもが「わかった」と感じる瞬間にも、視覚的な情報が大きく関わっています。
つまり、「見る」という行為は、単なる視力の問題ではなく、感情・理解・共感・伝達といったコミュニケーションの土台を支える、根本的な構造なのです。
■「見える化」の本質は、“見ている”の再定義
「見える化」という言葉は、情報整理や経営管理の文脈でよく使われます。
けれど、ここで言う「見える」は、もっと根本的な意味を持ちます。
子どもの困りごとが、親に“見える”
学校での過ごし方が、先生に“見える”
本人の努力や葛藤が、周囲に“伝わる”
つまり、「見える」は「わかる」「伝わる」に繋がる、人間の理解構造そのものです。
■視覚の支援とは、共感の支援である
視覚支援というと、特別なメガネやトレーニングを思い浮かべるかもしれません。
でも本質は、「その人が見ている世界を、他者が想像できるようにすること」──
これに尽きます。
どこが見えにくいのか
どう見えているのか
何がしんどいのか
どこで引っかかっているのか
これらを“構造として見せる”ことができれば、支援の精度は飛躍的に高まります。
それは単なる“機能の補助”ではなく、共感という構造の共有になるのです。
■「意味の通路」としての視覚
私たちは、視覚を通じて世界を理解しています。
けれど、視覚とは、世界を見る“窓”であると同時に、意味を受け取り、意味を発信する“通路”でもあります。
そして、その通路がどこかで詰まっていたり、歪んでいたりすると、本人も周囲も、誤解やストレスのなかに生きることになる。
だからこそ、視覚を機能ではなく「意味構造」として捉え直すことが必要なのです。




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