視覚を「機能」ではなく「意味」で捉え直す。
- ジョイビジョン奈良.OptMatsumoto(1級.眼鏡作製技能士)

- 10月16日
- 読了時間: 2分

■ 見える/見えないの“その先”にあるもの
視覚を「機能」ではなく「意味」で捉え直す。視覚を「機能」ではなく「意味」で捉え直す。
視覚を「機能」ではなく「意味」で捉え直す。「視力」は、あくまで“静止した点を見る能力”にすぎません。
けれど、実際の暮らしや仕事、学びの中で必要なのは、もっと多様で動的で連続的な「視覚の使い方」や「視覚の意味」です。
たとえば、「文字が見える」ことと「意味が入ってくる」ことは全く別物です。
「前が見える」ことと「前に進みたくなる」ことも、まったく違う脳の動きです。
視覚はただの“入力”ではありません。
人の中で、“解釈されて、意味になって、行動に繋がる”ところまでが視覚です。
■ 「意味まで視る眼鏡屋」ができること
ジョイビジョン奈良.OptMatsumotoがやっていることは、「度数を合わせる」「斜位や斜視を補正している」だけではありません。
「その人が、何を“見たい”と思ってるか」にも寄り添うこと。
視覚的な困りごとに加えて、
感覚の過敏さや気づきにくさ、
心の状態や環境との関係性
これらを含めて、まるごと立体的に見る視点が必要だと思っています。
■ それは「視覚」ではなく「生き方」の話かもしれません
見えにくさを、単なる「機能の問題」に閉じ込めてしまったら、その人の可能性も、感じ方も、表現の仕方も、どんどん狭まってしまいます。
でも、「意味としての視覚」を取り戻せたら、「生き方そのもの」が変わる瞬間を、私は何度も見てきました。
✔ 結論:度数を合わせることよりも、「意味が通る視覚」にこそ価値がある
だからこそ、視力だけでは語れない「視覚の物語」に、耳を傾けることから始めたい。




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