視力1.0より、“暮らしにフィットする視え方”──プラグマティズムの視点から
- ジョイビジョン奈良.OptMatsumoto(1級.眼鏡作製技能士)

- 10月17日
- 読了時間: 2分

Ⅰ. 正しい視力=いい見え方、ではない
視力1.2が出ているから、それでいい?
ランドルト環の「C」が読めたから、見えている?
──そんな基準は、実は“視ることの本質”を見事に外しています。
視覚とは、本来もっと主観的で、機能的で、状況依存のものです。
「数値が良い=見えている」ではなく、
「その人の暮らしや活動にとって役に立っているか?」
が、ほんとうの評価軸になるべきです。
Ⅱ. プラグマティズムの基本は、「役に立つことが真実」
アメリカの哲学者ジョン・デューイが提唱した「プラグマティズム」。
その思想の中核には、こうあります
「真理とは、役に立つことである」
「その考えが、その人の人生や選択において意味を持ち、行動を変えられるなら、それは“真”である」
この視点を視覚にあてはめるとどうなるか?
「他の人より視力がいい」ではなく、「自分にとって見やすい」「不安なく動ける」「読みやすい」
その実感こそが“真の見え方”になる。
Ⅲ. “正しさ”を疑うことが、支援の入り口になる
「右目1.0、左目1.0で正常です」
「プリズムは入れなくても二重に見えませんから大丈夫です」
こうした説明は、あくまで“正常の枠”に照らした正しさであって、本人が感じている“見づらさ”や“違和感”には無関係なことが多々あります。
ここで必要なのは「何が正しいか」ではなく、「何が役に立つか」「何が本人にとってラクか」という視点です。
プラグマティズムとは、支援や処方の根拠を「本人の経験と有用性」におく思想であり、
まさに視覚の支援現場において最も必要とされる態度です
Ⅳ. “役に立つ”の定義は、対話によって立ち上がる
「役に立つ」もまた、画一的な評価軸では決まりません。
・仕事でミスが減る
・疲れにくくなる
・子どもがノートを見やすくなる
・まぶしさが減って、外に出るのが苦痛じゃなくなる
こういった個別の実感・文脈によって、“機能”の意味が変わってきます。
だからこそ、処方や検査、支援は対話型でなければならない。
「何ができるようになりたいのか」「何が気になっているのか」
その対話の中からしか、“意味のある見え方”は立ち上がらないと考えます。
Ⅴ. 結論:視覚は、“実用”と“意味”の間にある
視覚におけるプラグマティズムとは、「正しさ」や「基準」に頼るのではなく、
その人にとって“役に立つ”ことを問い直す姿勢である。
数値より実感、知識より納得、そして、理論より「意味のある変化」。
視覚支援とは、「何が見えるか」ではなく、「見えることで、何ができるようになるか」を問い続ける営みだと思うのです。




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